
父に慈恩あり。母に非恩あり。その故は、人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。
父にあらざれば生まれず、母にあらざれば育たず、これをもって、気を父の胤にうけ、形を母の胎に託す。
この因縁をもっての故に、非母の子を思うこと、世間に比いあることなく、その恩、未業に及べり。
はじめ胎を受けしより、十月を経る間、行・住・坐・臥ともにもろもろの苦悩を受く。
苦悩やむときなきがゆえに、常に好める恩食・衣服をうるも、愛欲の念を生ぜず、ただ一心に安く産まんことを思う。
月満ち日足りて、生産のときいたれば、業風吹きて、これを促し、骨折ことごとく痛み、膏汗ともに流れて、その苦しみたえがたし。
父も心身おののきおそれて、母と子とを憂念し、諸親眷属みなことごとく苦悩す。
すでに生まれて、草上に堕つれば、父母の喜び限りなきこと、なおし貧女の如意珠をえたるが如し。
それより、母の懐を寝処となし、母の膝を遊び場となし、母の乳を食物となし、母の情けを生命となす。
飢えたるとき、食を需むるに、母にあらざれば哺わず。渇きたるとき、飲をもとむるに、母にあらざれば咽まず、寒きとき、服を加うるに、母にあらざれば着ず。
暑きとき、衣を脱るに、母にあらざれば脱がず。母、飢にあたるときも、哺めるを吐きて子に被らす。
母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず。その闌車を離るるに及べば、十指の甲のなかに子の不浄を食う。
計るに、人々、母の乳を飲むこと一百八十斛となす。父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し。

母、東西の隣里に傭われて、あるいは水汲み、あるいは火焼き、あるいは碓つき、あるいは磨ひき、種々のことに服従して、家に還るのとき未だいたらざるに、今やわが児、わが家に啼き哭びて、われを恋い慕わんと思い起せば、胸悸ぎ、心驚き、両乳流れ出でて、忍びたうることあたわず、すなわち去り手家にかえる。
児、はるかに母の来るを見て闌車の中にあれば、すなわち頭を揺かし、頭を弄し、外にあれば、すなわち匍匐して出で来り、嗚呼して母に向う。
母は子のために足を早め、身を曲げ、長く両手をのべて、塵土を払い、わが口を子の口に接けつつ、乳をいだしてこれを飲ましむ。このとき、母は子をみて歓び、子は母をみて喜ぶ。
両情一致、恩愛のあまねきこと、またこれにすぐるものなし。
二歳、懐を離れてはじめて行く。父にあらざれば火の身を焼くことを知らず。母にあらざれば、刀の指をおとすことを知らず。
三歳、乳を離れてはじめて食う。父にあらざれば、毒の命をおとすことを知らず、母にあらざれば、薬の病をすくうことを知らず、父母、外に出でて他の坐席にゆき、美味珍羞を得ることあれば、みづからこれを喫うにしのびず、懐におさめて持ち帰り、喚び来りて子に与う。
十たび還れば、九たびまで得、得ればすなわち常に歓喜して、かつ笑いかつくらう。もし過まりて一たび得ざれ場すなわち矯り啼き、いつわり哭きて父を責め母に逼る。
やや生長して朋友とあい交わるにいたれば、父は衣をもとめ帯をもとめ、母は髪をくしけづり、髻を摩で、おのが美好の衣服はみな子に与えて着せしめ、おのれはすなわち故き衣、弊れたる服をまとう。

すでに婦妻をもとめて、他の女子をめとれば、父母をばうたた疎遠にして、夫婦はとくに親しみ近づき、私房のうちにおいて、妻と共に語らい楽しむ。
父母、年たけて気老い、力衰えぬれば、倚るところの者はただ子のみ。頼むところの者はただ婦のみ。
しかるに夫婦ともに朝より暮にいたるまで、いまだ一たびも来り問わず。
或は父は母を先立て、母は父を先立てて、独り空房を守りおるは、なお孤客の旅寓に寄泊るがごとく、常に恩愛の情なく、また談笑の娯しみなし。
夜半、衾冷かにして五体安んぜず。いわんや、被に蚤虱多くして、暁にいたるまで眠られざるをや。
いくたびか輾転反側して、独言すらく、「ああ、われ何の宿罪ありてか、かかる不孝の子を持てる」と。
事ありて、子を呼べば、目を瞋して怒り罵る。婦も児もこれを見て、ともに罵り、ともに辱しめ、頭をたれて笑いを含む。婦もまた不孝、児もまた不順、夫婦和合して五逆罪を造る。
或いはまた急に事を弁ずることありて、疾く呼びて命ぜんとすれば、十度よびて九たび違い、遂に来りて給仕せず、かえって怒り罵りていわく、「老いぼれて世に残るよりは、早く死なんにはしかず」と。
父母これを聞いて怨念胸にふさがり、涕涙瞼をつきて目瞑み、心惑い、悲しみ叫びていわく、「ああ、汝、幼少のとき、われにあらざれば養われざりき。われにあらざれば育てられざりき。しかして今に至れば、すなわちかえってかくの如し。ああ、われ汝を生みしは、もとよりなきにしかざりけり」と。
もし子ありて、父母をしてかくの如き言を発せしむれば、子はすなわち、その言とともに堕ちて、地獄・餓鬼・畜生のなかにあり。
一切の如来・金剛天・五通仙も、これを救い護ることあたわず、父母の恩重きこと、天の極まりなきが如し。