Q&A
核家族化の進行によりこのような家庭が増加していますが、菩提寺は故郷にあり遺骨も菩提寺のお墓に納骨する予定であればその僧侶からの戒名はいただかず俗名で仮葬儀を行いましょう。
ここで戒名までつけてしまうと菩提寺に埋葬する際に、戒名の付け直しをしなくてはならない場合があり、その場合は戒名料が二重になります。
各寺には過去帳というものがありまして他の寺でつけられた戒名はその寺の過去帳には載せません。
又、各宗派により戒名のつけ法も違うので良く考えて葬儀をしたら良いでしょう。
日頃より自分の最後はこのお寺にお世話になろうと菩提寺を生前にきめておくべきです。
日頃より自分の最後はこのお寺にお世話になろうと菩提寺を生前にきめておくべきです。
そして、日頃より和尚様と交流をして、自身にふさわしい戒名が授かるように準備しておきましょう。
四十九日の納骨が決まったのですがお墓に戒名を彫るので石屋さんが数社の売込みがあったが戒名彫りの値段もマチマチで安いところと高いところの差があまりにもありどれを信用していいのか迷っています、戒名彫り周辺のことを教えて下さい。 |
よくお聞きする話です。最近の不況を反映してか各業者の安売り競争が続いているようです。
中には同じ業者で地域により半額になったり、とても信じられない価格が一人歩きしてお客様を惑わしているようですが、
これらはまやかしの売り込み商法の一つです。
詳細に説明すれば新聞のお悔やみ欄に掲載したとたんに数社の石屋の訪問があり、安いのは戒名彫り代18,000円から高いのは70,000円くらいと聞く。
詳細に説明すれば新聞のお悔やみ欄に掲載したとたんに数社の石屋の訪問があり、安いのは戒名彫り代18,000円から高いのは70,000円くらいと聞く。
当然お客さまはやすいほうに決めますが、決めたとたんに他の業者の訪問はなくなります。
これからが本題となりますが競争相手がいなくなり、お墓を見れば目地の一つや二つはとんでいて手直ししたほうが良いのは誰が見ても明らか。
そこで一番やすいと思い注文した業者の爪が大きく伸びます。「あそこを直しましょう。」「ここが傷んでいます。」と勧誘して見積もり額を提示し(この中には安くしたもとが取れる設定になっているので最初の価格は少しも安くはない)最終的にお客様は業者の請求を払わなければいけないこととなり、笑えない話となっているようです。なかは法外な価格を請求され大騒ぎとなった例さえあるそうです。
特に強調したいのは安いものには必ず裏があるものです。ご用心 ご用心 戒名彫りは地元の信用できる業者が一番です。大体の手間代などから判断して戒名を彫り納骨周辺のサービス業務など全てしてもらっても5~7万円くらいが相場でしょう。地元業者は馬鹿なことはできませんから。
特に強調したいのは安いものには必ず裏があるものです。ご用心 ご用心 戒名彫りは地元の信用できる業者が一番です。大体の手間代などから判断して戒名を彫り納骨周辺のサービス業務など全てしてもらっても5~7万円くらいが相場でしょう。地元業者は馬鹿なことはできませんから。
数年前に大手の霊園開発業者が管理運営する霊園が破産し閉鎖され利用者に大きな迷惑をかけ社会問題へと発展し、国は慌てて法律を改正し霊園開発事業に法律で網をかけたもので現在では新規開発は難しくなったようです。
現法では新規霊園の開発は公共団体、宗教法人に限り認可されているようですが、その裏をすり抜けて開発業者が宗教法人の名義を借りて開発造成し本来であれば申請者である宗教法人(寺や神社)の檀家や氏子に分けるべきものを、投下資本回収を早める為に誰にでも売ってしまう「教宗派不問」として、派手なチラシに販売価格を格安表示して消費者の購買心をあおりたて、墓地を買われた人にはその業者の優位的立場を悪用して通常市価より高値で墓所セットを売り抜け利益確保に励んでいるようです。
又、既存墓地を整理してやると持ちかけ登記簿上、農地であるにも関らず墓地として販売、後に行政機関よりクレームがつき結果として現状に戻せと復元命令を出されたりしているようです。この場合、墓所を造り納骨をされた方の困惑は明らかで、現状に戻せという行政指示は元の農地に戻せということで、納骨までもされたお墓を壊して他の墓地に移せということですが、肝心の売った業者は知らん顔、責任を取る能力すらもなし、まるで詐欺に引っかかったようなものです。
又、広告紙上で安値で墓地を売っておいて、買われた方がいざ、お墓を建てる段取りとになれば、契約書に小さな文字で当霊園では指定工事店以外は工事をすることはできませんお墓を建てる場合は○○石材でと記されており、その業者以外はシャッタアウト、そして、出された見積書は市価の2倍~4倍、結局は高い安い関係なく業者のいい値、どうあがいても他では工事不能、このような民間霊園の不祥事?(当然のことか}は数え上げればきりのないことですが基本が営利追求性の高い民間霊園の裏面といってもよいでしょう。
でも民間霊園全てがこのように悪いのではなくて一部の心無い業者の仕業でしょうが、より良い供養のためにとお墓を建てたい善男善女を餌にする行為はやめてほしいものです。
もしも、民間霊園を希望される方は契約前に霊園の実態を充分に説明を受けることが肝要かと、時には関係機関の墓地開発の許可書、登記簿謄本、公図等で調査したり、墓地の値段ばかりに気をとられて肝心の墓所工事のひも付き条件の有無、ひも付でない場合はお墓を工事する際に石材業者から協力費や賦課金等と称し金銭を徴収するのか、その場合の金額はいくらか、当然、その金額は墓所工事代に上乗せされるのは確実です。とどのつまりは案外割高なお墓のなると判断すべきでしょう。
私もこの問題については非常に疑問を感じる一人です。
数年前の中越地震被災地の墓地へ行き、墓地全体被害状況を観察してみれば耐震、免震なんて言葉は不用意に使えない惨状です。
業界紙にある業者の施工した石塔は倒れていない、その倒れなかった原因は石塔の各部材に充分な接着剤をつかわれていたといいます。
業界紙にある業者の施工した石塔は倒れていない、その倒れなかった原因は石塔の各部材に充分な接着剤をつかわれていたといいます。
つまり石塔が上から下まで一体化されていてあのクラスの地震でも倒壊を免れたと言うことです。
私が現地で見たのも100件くらいの墓地でたった一基のみ無傷であったのを確認しています。
多分接合面全体に十分な接着剤が塗られ経年劣化のない状態ではなかったかとおもわれます。
耐震、免震施工などと宣伝をし、どのような特殊技術を持っているのか知りませんが、中越地震の被災地で耐震施工、耐震保証などと売っていれば全て保証することになり業者のほうが保証しきれるのかも疑問です。
まさにあなどれない自然の力、耐震、免震石塔を信じますか。
ご存知かと思いますがカロートを作る場合は底部分を遺骨が土に帰れるようにあけておきますので、周囲の地下水位が高い場合には雨季になれば水が上がってくるのは当然でしょう。
しかし、乾季になれば自然と地下水位は下がり水はなくなります。
それよりも現在の骨壷はうわぐすり加工がされていて昔の素焼きの壷のように空気の流れがないために結露現象により壷自体の中に水が溜まっているのが確認されます。
最近では壷のままでの納骨が多い為カロートに壷のまま納めて何年かすると結露のよる水がいっぱい溜まっているので納骨の際には遺骨は壷から出して土に返すべきでしょう。
宗教法人○○寺が管理運営する墓地で基本的には寺の境内地にあり、その寺の檀家になるのが第一条件になります。
比較的市街地にあり管理も行き届いて、本堂や庫裏や水屋なども整備され、墓参の際にも便利で、さらには本堂のご本尊さまに礼拝供養することもできるので、通常はお墓といったらお寺と言われるように最も多くの墓所が造られております。
しかし、一般の方が事前に紹介者や予備知識もなくいきなり墓地がほしいからと行っても難しいでしょう。
各寺によって事情も違いますが大体のところは、信迎心の有無が第一に問われ、佛教教理が理解されているか、身元が確実であるか、檀家としてお付き合いできるか、諸々の条件がありそれらをパスしなくてはなりません。しかし、各寺の住職の考えにより寺の運営姿勢にも格差が存在するのも事実です。
墓地価格については地域によりさまざまで普通の土地の売買とは違い、墓地の永代使用権を買うものとし、代金は寺に対するお布施と理解されており、一般的な地価の1.5~5倍位の価格でも市街地と周辺部、過疎化の著しい山間部では雲泥の差があり、墓地の場合は土地売買ではなく墓地を永代に亘って使用するのが多く見受けられます。
要注意事項としては檀家になるについて 入壇料の有無、護持会費、法事や葬儀の際のお布施の金額を納得した上で決められることが肝要です。
できうれば生前にこれと思う寺との縁を持たれ菩提寺と定めることがよろしいでしょう。
比較的市街地にあり管理も行き届いて、本堂や庫裏や水屋なども整備され、墓参の際にも便利で、さらには本堂のご本尊さまに礼拝供養することもできるので、通常はお墓といったらお寺と言われるように最も多くの墓所が造られております。
しかし、一般の方が事前に紹介者や予備知識もなくいきなり墓地がほしいからと行っても難しいでしょう。
各寺によって事情も違いますが大体のところは、信迎心の有無が第一に問われ、佛教教理が理解されているか、身元が確実であるか、檀家としてお付き合いできるか、諸々の条件がありそれらをパスしなくてはなりません。しかし、各寺の住職の考えにより寺の運営姿勢にも格差が存在するのも事実です。
墓地価格については地域によりさまざまで普通の土地の売買とは違い、墓地の永代使用権を買うものとし、代金は寺に対するお布施と理解されており、一般的な地価の1.5~5倍位の価格でも市街地と周辺部、過疎化の著しい山間部では雲泥の差があり、墓地の場合は土地売買ではなく墓地を永代に亘って使用するのが多く見受けられます。
要注意事項としては檀家になるについて 入壇料の有無、護持会費、法事や葬儀の際のお布施の金額を納得した上で決められることが肝要です。
できうれば生前にこれと思う寺との縁を持たれ菩提寺と定めることがよろしいでしょう。
旧家墓所改修工事 (戒名たどり)
旧家の墓所改修工事を依頼されて最初にするのは、墓地に乱立する苔むした古石塔の前にたたずみじっくりと観察することより始まる。幾代にもわたり手厚くご供養されてきた古石塔群は数百年の旧家の歴史を語りかけてくれる。
風雨にさらされ風化した判読不能な石塔も多いが、ブラシや布で丁寧に苔や汚れを落として、光線のあたり処を工夫することによってわずかの手がかりをもとに一基づつ丹念に読み込んでいく。それらの石塔には頭部に種字(古代インドの文字で各佛を一文字で表す雅語)や円相など、正面にはお釈迦さまの弟子となられた証としての戒名、没年月日(干支) 俗名 施主名などが整然と謹刻されており、往時の人々の佛教が根底にあり、真に死者の極楽往生を願っての佛塔を建てていた心を窺い知ることができる。
また、往時の石工も佛教研鑽に励んでいたのであろうと推察する。古石塔の調査後に施主宅の過去帳や旧位牌(囲炉裏の煙で真っ黒となったもの)からも工夫することによって読み取り可能それらを整理しておいて、施主の菩提寺にて過去帳と照合して頂くことによって終了する。
旧家の墓所改修工事を依頼されて最初にするのは、墓地に乱立する苔むした古石塔の前にたたずみじっくりと観察することより始まる。幾代にもわたり手厚くご供養されてきた古石塔群は数百年の旧家の歴史を語りかけてくれる。
風雨にさらされ風化した判読不能な石塔も多いが、ブラシや布で丁寧に苔や汚れを落として、光線のあたり処を工夫することによってわずかの手がかりをもとに一基づつ丹念に読み込んでいく。それらの石塔には頭部に種字(古代インドの文字で各佛を一文字で表す雅語)や円相など、正面にはお釈迦さまの弟子となられた証としての戒名、没年月日(干支) 俗名 施主名などが整然と謹刻されており、往時の人々の佛教が根底にあり、真に死者の極楽往生を願っての佛塔を建てていた心を窺い知ることができる。
また、往時の石工も佛教研鑽に励んでいたのであろうと推察する。古石塔の調査後に施主宅の過去帳や旧位牌(囲炉裏の煙で真っ黒となったもの)からも工夫することによって読み取り可能それらを整理しておいて、施主の菩提寺にて過去帳と照合して頂くことによって終了する。
この一連の調査完了後、当代の施主はご先祖さま各位と改めてご対面である、そして自らの源流を大いに自覚するとともに、この世での大きな責任を果たす為に家の歴史を未来の子孫達に正しく伝えていかなくてはならないものと確信していくのである。
常々、旧家の施主には家の歴史はお金では買うことはできないので大切にと言っているが、ふとした心の迷いで無知な業者に引っかかり無意味なお墓を建てさせられ、ご先祖が永年にわたり積み上げていた佛徳をだいなしにして、さらに末代にわたるまでの因縁を背負わされていたなんてことにならぬよう旧家のお墓改修工事は慎重に考えることだと思います。
常々、旧家の施主には家の歴史はお金では買うことはできないので大切にと言っているが、ふとした心の迷いで無知な業者に引っかかり無意味なお墓を建てさせられ、ご先祖が永年にわたり積み上げていた佛徳をだいなしにして、さらに末代にわたるまでの因縁を背負わされていたなんてことにならぬよう旧家のお墓改修工事は慎重に考えることだと思います。
一般的には野墓地と言われ田畑の片隅や近隣の山辺などにあり墓地として使用する人も限られた範囲の人々です。
昔からの地域のつながり(同じ姓を有する人達、同じ地域に住む人達)が基本にあ共同墓地です。
それゆえに、本家よりも大きい墓は造るな、あの家の墓よりは小さくしたいなどと任意規制があったり、一族や近隣の人たちとのつながりが重視されますが、近隣の人達との軋みによるトラブルがおきる可能性もあります。
その第一は隣地との境界がはっきりしない、知らない間に序列がつけられ今でも半世紀前の事柄が争いの種となるので立派なお墓を造ったのをねたまれてお墓が完成したのを待ってました言うようにクレームがつけられ、完成したお墓まで壊して造り直しをさせられたという話などもあります。
永い歴史の中で家と家との因縁を引きずる悪い面もありますのでご注意のほどを。
しかし、墓地価格は親戚相場で値があってないようなもので本家や分家の関係で墓地代無料となるような場合もあり。
しかし、墓地価格は親戚相場で値があってないようなもので本家や分家の関係で墓地代無料となるような場合もあり。
日頃の親戚や近隣のお付き合いの度合いにより何とでもなるようです。
居住地より近い場合は墓参りもいつでもできる墓地です。
お墓を作りたい、お墓を何とかしなければ訪れる人達に「何の為に」
と問えば、大抵の人は家族の誰かが亡くなり、その亡くなった人の供養の為にと答える。即ち、亡き人の為に残された遺族が手厚い供養を行い、冥福を祈ることを追善供養という。この追善供養において供養法は種々あるが、現在一般的には石塔を建てたり、菩提寺での法要を修しているこの供養により施主は莫大の功徳を得ることができる。その功徳を、亡き人に振り向け、尚も余りある功徳は、有縁無縁一切の精霊に振り向けられる。このことを廻向という。
廻向の佛教的解釈は各宗派異なるが、不廻向義に立つ真宗系を除き、殆どの宗派が法要の最後に各宗派の「廻向文」を唱える。
天台宗の「廻向文」には、「仰ぎ願わくば比の功徳以って廻向奉るところの(追善供養を受ける佛様の戒名)霊位往生極楽証大菩提 別しては先祖代々先亡諸霊 一蓮托生 荘厳浄土 総じては 三界万霊 有縁無縁 怨親平等の一切霊等生離生死 頓生菩提 又願わくは比の勝縁に依って 一家面々現世安穏 後生安楽 如来大悲 哀愍護念」と唱えられる。
曹洞宗の先亡廻向文には「菩薩清涼の月は 畢竟空に遊ぶ 衆生心浄ければ菩提の影中に現ず 仰ぎ冀わくば三宝 伏して照鑑を垂れたまえ 上来(法会にて読誦したお経)を諷誦す 集むるところの功徳は(追善供養を受ける佛様の戒名)霊位 OO家家門先亡累代精霊 六親眷属七世の父母 有縁無縁三界万霊の含識等に廻向す 冀うところは 曠劫の無明は当下に消滅し 真空の妙智 便ち現前すること得 頓に無生を了し 速やかに佛果を証せんことを」と唱えられる。
ところで、この追善供養に依ってどのような形で亡くなった人にその願いが届くのか、『大乗義章』ではこう解釈している。「佛法は自業して他人果を受くることなく 亦他業して自己 報を受くること無しと雖も 彼比互い相助縁すること無きに非ず 相くるを以っての故に 己が善を廻して彼に施すことを得・・・」とある。これを解すると、施主が故人の為に法要を営み、御本尊(佛)、所依の経典(法)、菩提寺の住職(僧)に供養し 佛さまの教えに依って精進し、御本尊様と施主が縁を結び(結縁)、来世の得果を約束され(成佛)莫大の功徳を得ることができる。この功徳を故人の供養や自分や参列者の来世往生を願い(往生廻向)、自分が極楽に往生した後も現世に残された者の為に、還来して衆生を教え導き、極楽往生させる(還相廻向)力を得ることができる。
このようなことから皆様方のお墓づくりに照らすと、故人の追善供養の為にお墓を建てんとする時、施主の心に大きな菩提心が芽生え、やがて菩提心は具体的に石塔(佛塔)となり、その塔に佛菩薩さまを勧請し、真実を見通す佛眼を開いていただき、真摯な心で供養を修することにより佛菩薩さまよりの功徳をいただけるその得られた功徳を廻向するのである。
故に、墓石上段正面に彫られ、礼拝の対象となるのは、家紋やOO家之墓では無く、各宗派の御本尊様、宗祖宝号、佛菩薩の名号お題目等が謹刻され、それらが善男善女より絶え間無い供養を受けることにより、そこに眠られる仏となられた方々に佛菩薩より頂く莫大な功徳を廻向することができる事こそ我々一般庶民の追善供養の為のお墓づくりの本願である。 合掌
と問えば、大抵の人は家族の誰かが亡くなり、その亡くなった人の供養の為にと答える。即ち、亡き人の為に残された遺族が手厚い供養を行い、冥福を祈ることを追善供養という。この追善供養において供養法は種々あるが、現在一般的には石塔を建てたり、菩提寺での法要を修しているこの供養により施主は莫大の功徳を得ることができる。その功徳を、亡き人に振り向け、尚も余りある功徳は、有縁無縁一切の精霊に振り向けられる。このことを廻向という。
廻向の佛教的解釈は各宗派異なるが、不廻向義に立つ真宗系を除き、殆どの宗派が法要の最後に各宗派の「廻向文」を唱える。
天台宗の「廻向文」には、「仰ぎ願わくば比の功徳以って廻向奉るところの(追善供養を受ける佛様の戒名)霊位往生極楽証大菩提 別しては先祖代々先亡諸霊 一蓮托生 荘厳浄土 総じては 三界万霊 有縁無縁 怨親平等の一切霊等生離生死 頓生菩提 又願わくは比の勝縁に依って 一家面々現世安穏 後生安楽 如来大悲 哀愍護念」と唱えられる。
曹洞宗の先亡廻向文には「菩薩清涼の月は 畢竟空に遊ぶ 衆生心浄ければ菩提の影中に現ず 仰ぎ冀わくば三宝 伏して照鑑を垂れたまえ 上来(法会にて読誦したお経)を諷誦す 集むるところの功徳は(追善供養を受ける佛様の戒名)霊位 OO家家門先亡累代精霊 六親眷属七世の父母 有縁無縁三界万霊の含識等に廻向す 冀うところは 曠劫の無明は当下に消滅し 真空の妙智 便ち現前すること得 頓に無生を了し 速やかに佛果を証せんことを」と唱えられる。
ところで、この追善供養に依ってどのような形で亡くなった人にその願いが届くのか、『大乗義章』ではこう解釈している。「佛法は自業して他人果を受くることなく 亦他業して自己 報を受くること無しと雖も 彼比互い相助縁すること無きに非ず 相くるを以っての故に 己が善を廻して彼に施すことを得・・・」とある。これを解すると、施主が故人の為に法要を営み、御本尊(佛)、所依の経典(法)、菩提寺の住職(僧)に供養し 佛さまの教えに依って精進し、御本尊様と施主が縁を結び(結縁)、来世の得果を約束され(成佛)莫大の功徳を得ることができる。この功徳を故人の供養や自分や参列者の来世往生を願い(往生廻向)、自分が極楽に往生した後も現世に残された者の為に、還来して衆生を教え導き、極楽往生させる(還相廻向)力を得ることができる。
このようなことから皆様方のお墓づくりに照らすと、故人の追善供養の為にお墓を建てんとする時、施主の心に大きな菩提心が芽生え、やがて菩提心は具体的に石塔(佛塔)となり、その塔に佛菩薩さまを勧請し、真実を見通す佛眼を開いていただき、真摯な心で供養を修することにより佛菩薩さまよりの功徳をいただけるその得られた功徳を廻向するのである。
故に、墓石上段正面に彫られ、礼拝の対象となるのは、家紋やOO家之墓では無く、各宗派の御本尊様、宗祖宝号、佛菩薩の名号お題目等が謹刻され、それらが善男善女より絶え間無い供養を受けることにより、そこに眠られる仏となられた方々に佛菩薩より頂く莫大な功徳を廻向することができる事こそ我々一般庶民の追善供養の為のお墓づくりの本願である。 合掌
市営、県営、都営霊園などと公共団体が管理運営している近代的な公園形式で広々とした好環境の大型霊園が設けられています。
近隣では高崎営八幡霊園、前橋市営嶺公園墓地、富岡市営富岡霊園、太田市八王子山公園墓地等があり、教宗派は一切問われません。
しかし、霊園によっては市民のみの使用、市民外でも受付可能、お申し込み時に埋葬すべき遺骨のある方などとの条件があり、使用規則や工事規制が厳格につくられ、管理もしっかりしていて永代使用料も割安な墓地です。
各霊園により事情は違いますが基本的には公募により受け付けているようですが希望者が殺到した場合には抽選となることもあります。
特に八幡霊園では区画により希望者が殺到し抽選に当たらなければ求められません。